人には失敗する権利がある

なにかあったらの呪い

一人で歩きたい
独居の家に帰りたい
外に行きたい
ご飯食べていい
薬減らしたい

リハビリテーションは、その人がその人らしく過ごすことを取り戻していく過程なので、要望があれば可能な限り叶えるのが理学療法士のお仕事。
薬とか食事とか専門外のことについては、知識のある人に相談を繋いだりもします。

なんだけど

たまに、というか結構な頻度で「何かあったらどうするんですか」という事を言われる。

この一言は、重い。

大抵、この言葉には意味があって
①なにが起きるか分からないからやめてほしい
②万一なにか起きたら誰が責任を取るの
③なにか起きても私は知りませんよ
④忠告しましたからね
⑤私は賛成してませんからね

ってこと。

「想定されるアクシデントに対して、対応策を考えましょう」という言葉通りのことでは、ない。

否定から入る「何かあったらどうするの」の呪いを乗り越えるために、石橋を
叩いて
叩いて
叩いて
叩いているうちに機会を逃してしまう、または本人のやる気が消えてしまうことは

よーーーーく、ある。

勿論、大切な家族が怪我をしたり、困ったアクシデントに見舞われるのは嫌だという気持ちもわかるし

本人の要望優先して安全をないがしろにしてしまうケアはできない、というケアスタッフのプロとしての事情もわかる。

でもさーーー、なんかさーーー
なんかさーーーー(語彙)

というわけで、攻めた地域ケアをしている小規模多機能ホーム、ぐるんとびーの菅原健介さんの講演を聞いてきたのです。

都内から川崎まで、小旅行

がんじがらめの安全対策

講演の中で、安全と本人のやりたいことのバランスについてとても分かりやすい表現があったので、ちょっと絵を加えてみました。

Aさんを支える安全対策があります。(下図)
少々小さめで心許ないです。
土台がぐらぐらしてしまうんじゃないからしら。

安全対策

よし、土台を大きくしてみよう。

足元はひろく大きくなったけど、上の人が倒れたら落ちてしまう。
強風が吹いたら?地震が起きたら?驚いた拍子に尻餅ついちゃうかも。
まだまだ、安全とは言い切れないですね!

安全対策

さあ、体半分を埋めて、もう落ちないよ。
これで安全ですね!

あ、でも待って。
この状態でいたら、腰を痛めたりするかもしれないよ!!

よーし、それならここまで安全で満たせばもう大丈夫だろう!!

めでたしめでたし

なわけあるかーーーーーーい!

こうやって描いてみるとジョークのようですが、これに近い事は日々あちこちで起きていると思います。

こんながんじがらめで何ができるんだってんだ。
テレビでも見てろってか(毒)

責任を「自己」で取れない

成功と失敗は表裏一体。挑戦の先がどちらかはわからない。成功も失敗も本人のもの。

自分で決めていいよってこと

ってのはまあ、みんな百も承知だと思うけれど、介護の現場ではそうはいかない事情があります。

それは、挑戦の先の失敗の責任、つまり起きてしまった出来事を引き受けるのは家族だからです。
例えば怪我をしたなら、病院に通院(入院)させ、治るまでの治療費を払い、その間の介護が重くなればそれにも対応して、それでも以前のように治らないかもしれない。

家族でなければアクシデントが起きた時に側にいたヘルパーかもしれない。
許可を出した先生かもしれない。
彼らを雇用している施設かもしれない。

そんな冒険、誰もしたくないんです(本人以外)

事情がわかるだけに、「ビクビクしてないで、もっと利用者の希望に添おうぜ!」とはなかなか言いにくい。

本人が決めてやったことなのに、周りの人に批判が来るのってなんですかね。
芸能人の不祥事とかも、いい年した大人になっても親がコメントしたりするのとなんか似たようなものを感じるんだけど。

そんなこんなで、どうしても安全を優先して本人そっちのけになってしまうのです。

また本人も「失敗すること込みでやりたいんだけど、アドバイス頂戴」という猛者はなかなかいなかったりするしね…

失敗する権利

失敗は普通は嫌だと思う。
本人がそう思うなら、無理にさせる必要はないけれど。

失敗も込みでトライしたいと思う人を、本人以外の人がどこまで抑えていいのだろうかというのは生活期に関わる人なら、考えたことがあると思う。

私もしょっちゅうあります。

たとえ社会性が低下して、体が動かなくなろうとも家にいてテレビ見て過ごしていたいとか。
家族は心配しているけど、電動車椅子でひとりで出掛けるられるようになりたいとか。

想定されるリスクはたくさん挙げられる。
だからこそ、その要望をリスク込みで応援するのか、理学療法士として待ったをかけるのか。

すごーーーーく悩む。

そこでこの言葉に励まされました。

どーん

失敗する権利を、その人は持っているんだ。
言い換えれば挑戦する権利を、持っているんだ。

その挑戦を、さっきのイラストのように埋め込んでしまうのは、やっぱりなにか違うよな。と思うわけです。

なにか違う安全

まとめ

この考えがあるからといって、いきなり色々は変えられないと思います。
でも…

誰がやりたい挑戦なのか、誰のための安全なのか、そこを見失わないようにしたいなと思ういい講演でした。

このブログを読んで、お話聞きたいと思った方。
まずは、菅原さんのTwitterフォローをお勧めします。
トライ&エラー&サクセスというのは1回では自分の体に浸透しないし、ひとりではやり続けるのは難しい。
藤沢で今日も菅原さんがトライ&エラーをし続けてると思うと、私も今日も頑張ろうって思えます。

ベッドマットが吹っ飛んだ Tweetに大ウケのりょーこねーさんでした!

6 件のコメント

  • ひびきました。
    わかりすぎました。
    福祉、高齢のひと12年仕事しました。今治
    教育現場にいます。同じようなことはどこでも!とうんうん。

    • 子育てにも通じ
      教育にも通じ
      夫婦関係にも通じますね。

      つまりはの可能性の先をどこまで余裕を持って見守れるかだと思います。
      失敗も成功も、可能性の先の出来事で良い悪いではないんですよね。

      コメントありがとうございます。
      同じ思いの方がいてくださって、嬉しいです。

  • 私は障がい者らしいですが?見た目わかんないらしい
    しかし、あれこれダメやと石橋たたかれまくってもスキップしながら我が道一度きりの人生だから。
    でも、心配からや検査結果からのアドバイスはうけいれつつやってます(*゚∀゚人゚∀゚*)♪

    • エグチアキコさん

      近くにいる人間としては、失敗したり困ったりして欲しくないという気持ちもありますよね。
      アドバイスを受け入れつつ好きなようにやるって、すごいと思います!

    • みさおさん

      ありがとうございます!
      素晴らしい考えですよね。スウェーデンの方から菅原さんが伺ったお話しだそうです。
      私もこのお話し大好きです!

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