映画「友達やめた」を見て、距離感の大切さを再確認する

映画を見てきました。

耳が聞こえない映画監督のわたしと
アスペルガーのまあちゃんの
友達でいる難しさのお話。

ミニシアター

障害特性に合わせて付き合っていくのは
素晴らしいことだけれど
さじ加減が難しい

相手の気持ちがわからないっていう特性を理解しても
実際に自分の気持ちを無視されたことを何度もされれば傷つきます。

その時に「傷つくからやめて」とお願いしても
「できないことをやれるようになれ」と受け止められるなら、言いにくい。

でも、自分が傷ついた気持ちはどうするの?どこにいくの?

どうやったらうまく付き合っていけるの?

ずっと、この点について考えていく映画でした。結構疲れます(笑)

K‘s cinema

この付き合い方の悩みは、友人関係だけじゃなくて、支援関係や、家族関係でもあることだと思います。

特に高次脳機能障害とか、コミュニケーションにまつわる障害に多い気がします。

そういう時は距離を開けて付きあってみたらどうですか?ということがあります。

会う回数を減らす。
付き合い方を変える。
他の人の力を借りる。

自分と相手の間に、何でもいい
時間でも距離でも人でも、何か間に入れて距離を取って
付き合うことそのものがダメになってしまわないように。

とある臨床心理士さんには「自分と合わないからと言って、他者の力を借りるなんてダメ。とことん向き合わなきゃ」と言われたことがあるので

支援職といっても考え方は色々あるのねーと思います。

映画の中で気になって、考えたこと

アスペルガーのまあちゃんは、喋れるけれど、手話を使う場面がよく出てきます。

それは、手話はYES・NOがはっきりしていて、言い方を選ぶという面倒なコミュニケーションじゃないからなんだそうな。

確かに普段私たちは「あの、ちょっといいですか」「お忙しいところ申し訳ありません」「1点確認したいことがありまして」と本題に入る前になにかと話すことが多いです。

それに加えて口調や敬語、丁寧語、相手との会話の間なんかもうまくやらないと、空気が読めないとか、礼儀がなってないなんて言われてしまう。

普段当たり前にやっていることだけど、苦手な人にとっては操作が多くて難しいゲームをやっているようなもかも。

こんな言い方したら嫌われるかな、と思って言い方をあれこれ考えて、結局言わないってことが多いので、もっと気楽にズバーっとものが言えたら楽なのに。

いいコミュニケーションって、面倒だなぁってちょっと思った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です